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《第二期》詩の散歩道 10

松林の間からもれる五月の茜色の陽を浴びながら読んだ詩、三つ

阿蘇豊

 山菜の季節だ。フキノトウ、コゴミから始まって、タラの芽、ワラビが出始めた。と思ったら、朝どりの孟宗をどさっともらい、それをゆでている間に「ゴメンクダサイ」とまたもらい、次の日の朝、玄関を開けたらウドといっしょに土のついている孟宗が置いてあった。今の時期、食卓が山菜であふれる。春の香り満載。うれしいったらない。

  夕立

八月が
「ゴクン」と
コップ一杯の水を
一気に飲み干し
健康な喉もとを
潤すと

たくさんの緑が
一斉に
立ち上がって
大きく深呼吸した

夕立が通りすぎた後の
遠景の
爽やかさ

 (奥山美代子/詩集『曼荼羅の月』より)

 初めの「八月が/「ゴクン」と / コップ一杯の水を / 一気に飲み干し」で、密かに拍手した。歯切れのいい出だしだ。続く緑の描写も印象的だ。緑が一斉に立ち上がり、大きく深呼吸するんだよ。そう、うちの庭の今が盛りの水仙を見ていると、そんな植物の心意気がよくわかる。
 夕立が通りすぎた後の「遠景」。何気なく通り過ぎたけど、「遠景」があるとないでは、情景の深さが違って見える。私にとっても新鮮な発見だ。
 短い詩だけど、八月から始まって、このパースペクティブの広がりよう、確かに爽やかだ。遠くに虹のにおいもするようだ。

  うそ

まず自分のことを一行書きます
それにうそを一行ずつ加えていきます
あなたが書いたうその数だけ
たくさんの現実や
たくさんの真実が見えてきます
うそを書いたよ!
うそに決まってる!
うそだらけのうそっぱち!
うそのうそはやっぱりうそ!
ほんとうにうそを書きつくしたとき
書いたあなたの右手が鏡のなかに
すっと入っていくのです
見えなかったたったひとつの現実と
ほんとうはあったひとつだけの真実を
鏡の裏で
つかまえることができるのです
うそ

 (秋亜綺羅/詩の絵本『ひらめきと、ときめきと。』より)

 「うそをついちゃいけないよ」と言われ続けた身からすると、絵本にこんな詩を書いていいのかな、って危惧しながら、その実楽しく遊んだ。「書いたうその数だけ、たくさんの真実が見えてきます」なんて、子供がそのまま信じたら、どうするの?なんて心配したけど、そんな必要はないのかもしれない。今の子どもは存外にしたたかで、世慣れているだろうから。それに、真実より、うそのほうが心理的に奥深く入り組んでいて、より楽しめそうだし。
 最後のひと言「うそ」が効いている。その前のいかにも真実らしいうそっぱちを、ぽつん
 と置いた「うそ」の二文字が暴いて見せている。お見事!

  水と水とが出会うところ

僕は小川と、それが奏でる音楽が好きだ。
小川になる前の、湿原や草地を縫って流れる
細い水流が好きだ。
そのこっそりと密やかなところがすごく
気に入っているんだ。そうそう
水源のことを忘れちゃいけない!
源の泉くらい素晴らしいものがほかにあるだろうか?
とはいってもちゃんとした川だってやはり捨てがたい。
川が大きな河に流れ込む場所や
河が海と合流する広い河口。
水と水とが出会うところ。
そんな場所は僕の中でいわば
聖域のように際だっている。
でも海をまさに目前にした河の素晴らしさったらないな。
僕はそういう河を、ほかの男たちが馬やら
魅惑的な肉体の女を愛するように愛している。僕はこの
冷たくて速い水の流れにひきつけられるのだ。
それを見ているだけで僕の血は騒ぎ
肌がぞくぞくとする。何時間じっと眺めていたって
飽きることはない。
ひとつとして同じ川はない。
僕は今日で四十五になった。
三十五だったこともあるんだよと言って
誰か信じてくれるだろうか?
三十五のとき、僕の心はからっぽで干からびていたよ!
それがもう一度流れ始めるまでに
五年の歳月がかかった。
今日の午後は心ゆくまで時間をとろう。
この河辺の家をあとにする前に。
河を愛するっていいものだ。
ずっと水源に至るまで
そっくり好きだなんてね。
自分を膨らましてくれるものがそっくり好きだなんてね。

 (レイモンド・カーヴァ―/詩集『水と水とが出会うところ』(村上春樹訳)より)

 詩を書こうなんて気負いが見えない一編だなあ。親しい誰かと語らっているような自然で素直な心のありようをそのまま文字化した、というふうだ。読んでいると心がじっくり潤ってくる。どうしてなのかわからない。川を流れる大量の水、そのイメージのせい?
 人を説得しようとしないことばたちに安心する。ただ川が好きだと言っている。魅惑的な肉体の女、なんて西部劇風に言ったりして。その潔さ、飾らなさがしっくりくるのだ。
「三十五だったこともあるんだよと言って / 誰か信じてくれるだろうか?」なんて、かわいい、どこかおかしいフレーズだ。小さな子供の耳に囁きかけているようで、妙に印象に残る。ラスト2行の「~なんてね」というリフレインによる切り上げ方も軽妙な味を醸し出していて、やっぱり村上春樹といったところか、なんてね。

profile

阿蘇豊(あそ・ゆたか)

1950年生 山形県酒田市出身
詩集
『窓がほんの少しあいていて』(ふらんす堂、1996年)
『ア』(開扇堂、2004年) 他
『とほく とほい 知らない場所で』(土曜美術社出版販売、2016)
『シテ』『布』『ひょうたん』同人

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