室生犀星のこと
丘野こ鳩
私に詩の世界をくれたのは、室生犀星だ。だから私が詩、といわれたとき頭に歴然と佇むのはこのひと、それから、その周辺にいた人々だ。もちろんその前後にも印象的な詩を読む機会はたびたびあった。ただ、そのものが率直に自分の内側を打ったというわけではなかった。室生犀星に出会ったときのことはずっと忘れない。自覚的な出会いだったし、ヒトメボレだったからだ。
恩師の卒業した学校だから、というただそれだけの理由で高校に進んだ私は春の終わりにすっかり劣等生となり果てており、まいにちまいにち、無為の延べ棒を淡々と叩いてのばしまくっているようなイメージをもって過ごしていた。
朝、原付で駅まで走っていると、こぢんまりとした駅前広場に地元の子らが各種制服を着こなし集結しだしているのが見える。それでもう気分がめいっぱいだるくなってきて、そのまま海岸の方へと流れてしまう。
田舎の劣等生は、やることがなかった。めちゃくちゃ、ひまだった。
飽き飽きしながらも熱烈に探し求めている、自分を動してくれる何かを、だから取捨する、なにもかもを、それで目に映るほとんどを捨てて、結局は海ばっかり見に行った。
もう一つひまをつぶすところとして、高校の図書館があった。私は図書館のことをなぜだか水族館のように思うよう心に決めていて、身を沈めるきぶんでゆったり歩き回ったりした。いつものように存分に停滞しながら流れていると、背表紙をみて瞬間、ぴたっと神経が吸い込まれるようにして、手に取った一冊があった。
「室生犀星詩集 福永武彦編」、その本は新潮社から昭和五十五年に発行された初版のもので、だからだいぶやけて、赤茶けている。
生涯24冊もの詩集を公刊した犀星の詩篇は膨大だが、そこから代表的な187編を収めたこの一冊は、どれもこれもその時々の粋を集めたような本だった。
まずは抒情小曲集「小景異情」、これは全六篇からなる連作詩に始まる、この連作の中でも「その二」はたぶん耳にしたことがある人も多いだろう。
私にとっての犀星の格別の魅力は、詩歌に用いられる文体にある。文語を口語にふしぎに崩した、流暢すぎない、独特の屈託、屈折をもったリズムと言葉づかいで、生じるちいさな事物事象の動きひとつずつを肯定していく手法。たとえば先の「小景異情 その二」でも、素朴に歌っているようにみえて、実際の意味するところを明快には読みとりづらく(たとえばこれが書かれたとき筆者はどこに居るのか、という論議がある)、そのために却って複雑な思いがいずれも併せて描かれていることが伺える。かなしみとさみしさを湛える連作は、次の篇にて閉じられる。
それまで頭を垂らし萎んでいた精神が活きかえっている。往々の屈託を経た着地点の意外なまでの単純さ、率直さ、素朴さ、それによって全体にもたらされるいじらしさ。複雑なままをそのまま言葉に表し、みとめてゆくみちすじ。
犀星の屈曲の文体は、ネガティブとポジティブの動きをそのままに、ふだんある通り余すところなく書こうとして生じたものに思う。ネガティブでありながらポジティブな意志をしたたかに閃かせ、ポジティブでありながらネガティブな際限ない憐憫をも具える。これは、そのままの自分、できるだけごまかしのない自分を、この世で生かすため、その存在の仕方を自分に許すため、どうしても必要なことだったのではないか。
矛盾する情動を合わせて捉えていく詩文は、あくまで短い。短い詩型が当時の流行であったにしても、犀星自身が俳句で培った素養、鍛えた技巧に他ならないように思う。
これを読んで、立ち尽くしたのを憶えている。明確に今自分が、この旅上に歌われている心もちに比して、自分の心身が、諦観のみにおちぶれていることを心底実感させられたから。とともに、これは私への手紙じゃないだろうか、「あらたなる草木とゆめと唯信ず」なんて、私が読むために書かれたのじゃないか、となぜだか強く思ったのを憶えている。
そういう出会いというのはあるのだ。タイミングとかご縁としかいいようのない出会い、一撃が。
「室生犀星氏」はたとえば酩酊しながらの帰路にたった一本の夜桜の下を通りすぎながら思い返すと、いつも厄介につきまとう自意識がほろほろとくずおれて、しまいに髄が、じんとくる一篇。長いけれども引いてみる。
佐々木マキの絵本「やっぱり おおかみ」を思いだす。「おれに にたこは いないかな」と仲間を探しに行ったおおかみが、さまざまの動物を見て、「やっぱり おれは おおかみだもんな おおかみとして いきるしかないよ」と結ぶ物語。さびしさでいっぱいの風景を経て、ひとりぼっちで得る諦念を辿り、肯定の境地に至るみちすじ。犀星は歌う、文語と口語とを巧みにひねくれさせてまでも、内にあるどんな情動も、唯一無二の「室生犀星氏」の生をこの世に在らしめるものに、他ならないと、証明してみせていくようだ。このひとのネガティブは、じっさいによく用いられる通り、春に属するものなのだろう。
さて、ヒトメボレしただけあってむやみやたらな讃辞が多い。ふと、ヒトメボレの要因はと背表紙をみて、室生犀星という字の、土、生、を連想させるその字の並びがよかったのではないかと思った。ふざけて感じられるかもしれないが、名前というのはその人の看板でもあるだろう。愛の詩集の序詩にもある通り、彼は土を重んじる。
この人にとっての愛は、土と同等にある。つまり浮薄のものではない。そして、目ざして行くと宣言するだけあって情熱的。好きだった春子さんという女性に「空いっぱいおまんこになり おまえの声はする」(「電線渡り」)などと詩を送って先方の親御さんに破局させられたショッパいエピソードがある。谷川俊太郎さんに「なんでもおまんこ」という名作があるが、谷川さんのスケールの大きなこの詩を聞くたび、私は犀星を思いだし、比して後者のその一途さに、なごんでしまう。
犀星が甘えることの叶わなかった産みの母の名は、ハルという。犀星にとって「存分に親しむことの叶わなかった母の名の響き」は格別の意味をもっていた、それはからだじゅうに満ちる心そのものを、表出させるスイッチともなる響きであったのではないか、とも思う。そう考えてしまうと、先のショッパいエピソードの起点はみもふたもない一途さにもみえてしまうけれど、つまりそれほどまでにがむしゃらな感情を抱え込んでいる人物、とも考えられる。
といって生涯つねにがむしゃらであったということではない。やがて年を重ね、小説「蜜のあはれ」では生意気で愛らしくエロティックなヒロインを描くまでに変遷する。魚を材に採った時の犀星は、凄い。
話が長くなるので高校時分にもどろう。
当時の自分が暗唱した詩がある、教訓的なもので恥ずかしいけれど、10代そこそこがいかにも心打たれそうな一篇。
当時の自分は、海ばかり見ていたからといって、ひまだったからといって、一切、何もしなかったわけではない。
多くの人がそうであるように、向きも不向きもわからずに、色々なことをしては失敗したり、うまくいかなかったりして、その積み重ねによって、段階を経て腐っていったのだ。その腐りようは、とても静かなものだった。おおげさに表すほどの事件も手段もない、そもそもが心ない学生生活だった。
いろんなことを試し、面白いようにうまくいかず、すっかり空っぽだった私に、ときどき他者から、世界を知らしめるようなアプローチが届くことがあった。詩という形で、私に世界をくれた最初の人が、室生犀星だった。
室生犀星(むろう・さいせい、1889-1962)について
詩人・小説家。金沢出身。20代で北原白秋に認められ、詩壇に登場。萩原朔太郎らと交流を持つ。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」の詩句はつとに有名。1930年代から小説に力を入れ、後に芥川賞の選考委員を務める。詩集に『愛の詩集』『抒情小曲集』『女ごのための最後の詩集』ほか多数。小説『幼年時代』『あにいもうと』『杏っ子』ほか多数。
丘野こ鳩(おかの・こばと)
1984年生まれ。
2000年代よりインターネット、詩誌等で詩を発表。
「詩楽」vol.1に作品掲載。