あったかも知れぬ日〜鎌田喜八の詩
春日線香
「詩人」という言葉を前にした時、頭に浮かぶのはどんな名前でしょうか。宮沢賢治、中原中也、萩原朔太郎、金子みすず……谷川俊太郎、田村隆一、茨木のり子、吉増剛造。それから思潮社の現代詩文庫に収められている詩人や、詩のシーンで活躍している若い詩人。名前を挙げていけばきりがなく、それぞれの詩人が素晴らしい詩を書いており、現在ではネットの普及のおかげで昔とくらべて詩の世界にアクセスしやすい状況といえます。詩の読者にとってはありがたいことではないでしょうか。
けれどそれは現在のこと。今でこそ気になる名前を検索エンジンに入力すれば詳細な情報が手に入りますが、ネットのない時代、たとえばぐんと時代を遡って50年、60年前はどうだったかというと、詩は紙の媒体に発表され、それから読者に周知されていくという道筋が主でした。もちろん今も基本的な道筋は変わっていないにしても、ネットのような場で自由に詩を発表することや、気になる名前を図書館に請求してすぐに読めるということはなかったと考えてよさそうです。
さてそのような時代。誌上では日夜熱い議論が交わされ、後年の大詩人が若々しい詩を書いて活況を呈していた時代。具体的には1950年代の『詩学』にて、青森県のある詩人が詩の投稿を始めました。
この人こそ私が紹介したい詩人、鎌田喜八です。
年譜を見ると、1925年に生まれ、52年頃より詩学研究会に投稿。56年に詩集『エスキス』を上梓。第一回土井晩翠賞受賞。その後は青森県内の詩のシーンに尽力したとのことです。(実は鎌田氏の作品が掲載された『詩学』は未確認です。今後の調査をお待ちください。)
どうもこの頃の詩学研究会(投稿欄)は新人のデビューと切磋琢磨の場であるとともに、地方から中央への登竜門的な役割を果たしていたようで、青森県近代文学館のサイトでは「青森県から戦後初めて投稿という険しいルートを通って、劇的に中央詩壇に登場した」と紹介されています。ちなみに鎌田氏は詩学新人賞に選ばれています。
鎌田喜八が描く世界、それは私たちが今生きている場所とは別の時空の……といっても完全に隔たっているわけではなく、私たちの世界のちょうど裏側に位置してひそかに影響を及ぼしている暗い世界の出来事です。鉄工所、駅の構内、倉庫街、荒れた野原、塚、港湾など、うらぶれた場末でくり広げられるのは、子供の頃、庭で石をひっくり返した時に見た風景にも似た、たがのはずれた生と死の祝祭。石の下で人知れず生を謳歌していたミミズや昆虫類、その他の名前もわからない生き物たちが突如陽の光に晒されてぐねぐねと蠢いている様子には、嫌悪を覚えながらも目が離せなかったものです。あの蠱惑的なひとときのように隠微な感興が鎌田喜八の詩にはあります。
どこかノスタルジーを感じさせる異形が次々と繰り出され、不気味に楽しい宴が繰り広げられます。ただしそうした異形が現実を脅かしたり秩序を破壊したりといった風に用いられることはなさそうです。あくまでも自立した幻想世界を彩るオブジェとして登場し、さっと眼前を横切ったかと思うとすぐに遠い彼方に去っていきます。まるできらめく流れ星のように。
無数の妖星に照らされた鎌田喜八の詩の世界は、この世とは性質を異にした別の明かりに満ち満ちています。氏の作品には「光線」という言葉がよく出てくるのですが、これなどもブラックライトのような特殊光に感じられますし、光の透過によって陰の存在を一瞬間だけ浮き上がらせて、詩人自身もその様に夢中で見入っているようです。
私がこの妖しくも魅力的な光に幻惑されて「脳髄」を「油煙の純粋な玉みたいに完全に」焼かれてしまったのは、まだ詩を書き始めて間もない頃のことでした。ネット上に公開されている戦後詩のアンソロジーでたまたま鎌田氏の詩に出会い、詩に関してまだ右も左もわからないままに、このような世界があるのだと、何十年も前にこんなに魅力的な世界に到達した人がいて、そして現在忘却の淵にあるのだということに、強い感銘を受けたのでした。あるいは後年知ったところによると、鎌田氏が病気療養中に詩作を開始し、青森という周縁的な場所で詩境を深めていたことに、同じく地方に逼塞して詩を書いていた自分もなにかしら共感する部分があったのかも……と今にして思います。
おそらく唯一の詩集である『エスキス』に収録されている以下の詩は、氏の作品の中でも私が特に好きな作品です。冒頭で畳み掛けられる体言止め、それに続く「除け者の日だ」という宣言めいた力強い一行の後に語られる奇妙な出会いの物語。閏日、つまり2月29日という暦日のつじつまを合わせるために追加された虚数の日は、現実と虚構が混じりあうにはぴったりの舞台です。
ぴたりぴたりと着実に置かれた言葉が静的な印象を強くし、それでいて、あたかもマイナスとマイナスを掛けてプラスに転じるかのごとく、虚構それ自体が存在感を持って立ち上がってきます。普通であれば出会うはずのないものがこの特殊な日に限って邂逅を許され、最後には幻想の彼方へと逃れていく。否定性の中にも後を引く余韻を残します。
詩が50年を経て新しい読者を得ることを、たぶん当の詩人は予期しなかったでしょう。もちろん鎌田氏と私の出会いは偶然がいくつも重なった結果ではあります。ですが詩の魅力、書きものの不思議とは、こういったところにあるのではないか。一度書かれたものは永遠に向かって開かれていて、彼方にいる読者をじっと待っている。そして、然るべきタイミングで必ず出会う。そう思えてならないのです。
詩の世界を振り返ってみた時、『詩学』に限っても膨大な詩が今までに書かれてきました。残念ながら雑誌はなくなってしまったとはいえ、書かれたそれぞれの詩まで消えてなくなったわけではありません。詩のうしろには詩人がいて、詩人が生きた生があり、私たちは詩を通して詩人の生にアクセスできます。そこに手を伸ばせば「あったかも知れぬ日」を己の精神において蘇らせ、新たに生きられるのではないか。そんな風に考えています。
鎌田喜八の詩に書かれているように、私たちがまなざしを向けているこの世界以外にもまだ見ぬ別の世界があって、人知れずシグナルを送っている……そう考えるとなにか心強い気がしてきます。冒頭で名前を挙げたようなよく知られた詩人はもちろんのこと、多くのマイナーポエット(という呼び方も失礼ですが)が詩の世界を豊かにしてきたことを私は忘れないし、時々は振り返ってその作品に触れていただければと、切に願います。
鎌田喜八(かまた・きはち、1925-)について
一九二五年一二月二八日生。小学校卒。四七年より五年間病気療養。五〇年青森療養所において詩誌「プシケ」に拠り詩作をはじめ、五二年頃より詩学研究会に投稿。五四年青森において月間詩誌「圏」を発行。五六年歴程参加。著書。詩集「エスキス」(一九五六年)。
春日注:上記は「現代詩全集 第五巻」(ユリイカ)から。鎌田氏自身によるプロフィールと考えられ、その貴重さを考慮して全文を引用しました。
春日線香(かすが・せんこう)
1984年生。大分県出身。
「痙攣」元同人。詩集に『十夜録』(私家版)
→水菜