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詩の散歩道 5

緑のはじまり

小網恵子

 桜の木は花開くことによって見慣れた通りを、公園を、町をいつもと違う景色にしてくれる。その後、いっせいに芽吹く木々。緑の季節のはじまりだ。芽を、葉を、花を、植物の生長を実感できる。まずは芽吹きを歌った詩から紹介したい。

「芽吹き」   藤本敦子

木が たっぷりと坐っているから
木の根っこにいると ねむい ねむくなる
どこに連れて行かれるのだろう
内側からのこもるような光
穂めく その小さな炎のしずけさ

 わたしはここにいます

緑がゆらしに来るので
青がまわしに来るので
音もなく回転しはじめる
からだを木にゆだね 甘える
甘えるとは 信頼し祈ることだ

 そこにいるのは芽だろうかわたしだろうか
 どこまでがわたしなのだろう

木洩れ日が雪解けの雑木林のように照らした
(見ましたか
(ええ
(見ましたか……
つるばみの木がはなしています

 (藤本敦子詩集『受けとった雲』/書肆山田, 2013年)

 つるばみはクヌギの古名というから雑木林の中で作者が感じている芽吹きを描写しているのだろう。一本の木、その根元にいて芽吹きを内側から受け取っている。感受している。木と作者が一体化しているような「緑がゆらしに来るので/青がまわしに来るので/音もなく回転しはじめる」に芽吹くことに寄り添う喜びを感じる。木と共に自らも芽吹いていく願いを感じる。作者が芽吹きの気配に五感を研ぎ澄ませている。
 次は五月を歌った詩を紹介する。「芽吹き」が木に寄り添っているのに対してこの「五月」は木々と、その季節と向き合っている詩と言っていいだろう。

「五月」   征矢泰子

そりたてのうなじが切ないほど青いのは
ほんのつかのま
たちまちのびてくるのび盛り
一刻もそのままでいることなどできない
五月の少年たち
気まぐれな雨も最後のひとしずくまでのみつくして
にぎやかな笑い声 風のなかまきちらす
どんなにながい歳月かさねた古木も
五月は少年だ
そうやって人の犯しつづけるどんなあやまちからもくりかえし
しっかりとよみがえってきたしなやかさ
五月はたとえ戦渦のなかにあってさえなお永遠の
少年の季節とき
ふりそそぐ陽光のなか
のびつづける若葉の一枚々々にみひらかれた木々の
いまその一瞬をかがやくいっぱいの目が凝視する
くらしの後先につまずいてすこしずつあきらめていこうとする
人間ひとであることの意気地なさ

 (征矢泰子遺稿詩集『花の行方』/思潮社, 1993年)

 五月の生命力、その力強さを一気に歌い、自分自身の(私達自身の)内なる気力に言及していく。まばゆいばかりのこの季節の緑の美しさには感嘆するもの、心躍るものがあるが、それは逆に傲慢なほどの命の輝きであり、それぞれ荷をかかえているものにとって、きつすぎる視線ととらえることもできる。この詩は1992年11月に自ら死を選んだ作者の遺稿詩集に収められている。作者には自分自身の葛藤を花に託して描いた多くの優れた作品がある。

profile

小網恵子(こあみ・けいこ)

1952年東京生まれ。1998年詩学新人。詩集『雲が集まってくる』(詩学社, 2000年)、『耳の島』(書肆青樹社, 2002年)、『浅い緑、深い緑』(水仁舎, 2006年)

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