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燃えてしまってしょうがないだけ

岩間由夏

この前、働いている大学に遊びにきた先輩たちが、「社会人になってから、夕焼けを見ることができなくなった。」と言っていた。さりげなく言われたことなのに、ふしぎと心に焼きついて離れない。わたしの職場は、さいわい西日がよく映る。

夕焼けが綺麗だと、いつか教えてくれた人がいる。そんなこと、昔から知っているはずなのに、千年前にもわかっていたことのはずなのに、誰もそれを覚えていない。わたしもそれを覚えていない。だからくり返し、なんども指をさして教えてもらわなくてはいけない。どうして、それが綺麗だったのか。

なぜ。

ボロボロのコンクリートで、かろうじて整備された町。そんな長野の片隅で育った。コンビニまで徒歩40分。通っていた小学校のクラスメイトは24名。そのクラスで6年間を過ごす。真夏には、視界のはしからはしまで広がる緑。風がふけばつめたく、360°のどこかに山が見えて当たり前。そんないわゆる大自然。それをもってしても片づかないきもち。持ち物を抱えてすごした18年間。田園もそらぞらしく思えるような休日には、どこかに行きたくてしょうがなく。けれど、子どもの足では、田園以外のどこにも行けず。行けてもイオンモールで、そんなのは、どこにも行かないのとほとんど同じだったから、どこにも行かなかった。待ちくたびれた夕方、青くとがった山並みに落ちていく、オバケみたいに真っ赤な光。それだけが唯一ほんもので、それ以外はぜんぶインチキだった。ほんものもインチキもないと大人が言う。でもそんなことってあるものか。インチキがないならほんものもない。目をそらすなよ。ふざけるなって暴れていた。教えてくれた、あなたはもう、夢なんかすべてあきらめたかな。

ねえ見て。
空が真っ赤だよ。

たまに、百年後まで夏休みを生きているような気がしてならない。畳の上に仰向けになり、ただ夕陽の時間を待っていた。あの安全な夏休み。できあいの天井が見えていたはずだ。それなのに思い出せない。ただ裸足のかかとにこすれる、草の直線、そのひんやりとした質感、森の葉っぱがこすれる音楽。それだけが鮮明で、景色がない。あの頃。同じ通学路ばかり、毎日くり返し歩いた。飽きて近所のおねえさんと、どちらがより遅く歩けるかを競ったこともあるし、ガードレールのむこうの土手を、他人の畑めがけて弟と駆けおりたこともある。それなのにわたしはいつも、自分の荷物を持てあまして、誰かに好きだと言われるたびに、どこかに逃げてしまいたかった。

あの田園を捨てて、東京の美大にやってきたけど、絵の具やパソコンをつかうときは、いつも上手に嘘をついていた。汚いわたしをごまかすための嘘。インチキ。そんなものを重ねて、わたしは自分にうんざりしていたから、もうだめになりそうだった。嘘をつくのは自分のためなのに、何がだめになるのだろう。わからない。それでも、嘘をつかないためには、もう言葉しかなかったのだ。

夕焼け、
あのうつくしさを今書き留めたい。
でも、綺麗なものはまぶしくて。
いつもぜんたいを見ることができない。
見ることができないのに、許せと言ってくる。
しょうがない。
からだの真ん中が焦げてしまいそうに熱い、
この衝動に名前がない。

好きな先生がいて。いや、そういうんじゃなくって。好きな先生がいて。デザインも絵も、一度もやったことがないのに、うつくしいことを言う先生がいて。いつも詩を書いたら必ず、見てもらおうと思っている先生で。その先生と喧嘩したことがある。喧嘩したと、わたしが思っていただけなんだけど。ひさしぶりに会って、いそいで手招きするから、何かと思ったら、「ここから見える夕陽が綺麗なんだ」って。うれしそうに笑うから、わたしだって、すべてを忘れたふりをして、しずかに笑ってしまうのだった。

profile

岩間由夏(いわま・ゆか)

1992年 長野生まれ
2011年 武蔵野美術大学 入学のため上京
2015年 武蔵野美術大学 卒業

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