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詩じゃない日の暮れ方 6

カミュを読まない日の暮れ方

花本武

 書きはじめてしまえば、あとはすいすいと流れにのって文章を連ねてゆけばいい。という乱暴な説もある。のだが繊細な感性をもっているばかりか、常に完全でありたい完成したものを提示したいと目論む故に毎回毎回締め切りが訪れると苦しむ。
 なんなんだ「書く」というのは。「言葉」を連続して記していくこと。それはなんなんだ。でかいテーマでしょう。この連載は実はそういう試みに挑む無謀な人間のドキュメント。(だったっけ?)
 書きだし。今日ママンが死んだ。というようなのありましたね。『重要だから毎度注意しときますが、私の記述は全てうろおぼえです』左記あまりにも重要だとおもったので()こういう普通なかっこじゃなくて二重のカギカッコにしてみました。『』は書籍タイトルに使用する慣例があるようですが、吉増剛造先生の詩作を御覧なさい、慣例なんて無意味なんです。
 話がどっかにいっちゃいました。カミュの『異邦人』(慣例どおりじゃん・・・)の出だしです。ママンってなんだ?ママじゃだめなのか・・・。といきなりすごくひっかかってくる。いいですよね、そのあとの展開もなんだか、あちゃあ…って感じがじわじわ広がってきてため息が出ます。
 アラブ人射殺の動機を裁判で太陽が眩しかったからと述べる。わからなさの岩をむきだしで放ってくる剛腕っぷりに、私が震えたのは、20代前半。図書館で借りた新潮文庫。ままならない自分をうっかり重ねるほどひまだった。無職だったから。
 大井図書館にはすごくお世話になった。毎日通った。職安に毎日通うと気持ちが荒む。通うんなら図書館だ。週刊文春をよく読んでいた。椎名誠の連載、新宿赤マントが読める雑誌っておもってた。椎名誠のファンだったのだ。
 大井図書館に通ってたのは20代前半だけじゃなかった。あるようなないような理由で高校に通えなくなっていたときもこもっていた。図書館にこもる。いいなあ。ぼんやりと科学雑誌のニュートンなどを読んでたら、同年代らしい人物に声をかけられた。中学が一緒だったが一度も同じクラスになってない奴だった。
 いかにも充実している雰囲気をまとっていたから気遅れした。共通の友人がいたりはするしお互いなんとなく知ってるから、なんとなく近況など話すようなことになる。心を閉ざすというほどではないが、和気あいあいとするのが億劫な時期だったんで、面倒だなあとおもいつつぽろぽろ話す。
 どうゆう本を読んでるのか?といった話題になる。本が好きな奴のようだ。私は筒井康隆の面白さに開眼したころだったので、そうゆう日本人のSFを少々・・・みたいなことを述べた。そしたらスティーブンキングを読め、と熱心にすすめられた。特にタリスマンのシリーズが超面白いから是非とも読むべきとのことだった。
 そのあとそいつとは一回も会ってない。タリスマンは読んでない。きっと面白いんだろうなあ・・・タリスマン・・・。
 ってまた話がどっかいった!現在の職場である本屋は最初アルバイトで入った。私はこれ読んでますよ、っていうイメージをコントロールしようとおもって休憩中に読む本を真剣に選んだ。白羽の矢を立てたのは、新潮文庫『ペスト』。カミュだ。話がもどってきた。もどってきたけど、そもそもカミュについていろいろ書けるような人物じゃないよ私は。なんなんだよって感じだ。
 まあしかしなんだ、今度の新人バイトのあのボウズ(そのとき頭を丸くしてまして)『ペスト』読んでたぜって風評をなぜか期待したわけだ。なんと恥ずかしいメンタリティか。

世間に存在する悪は、ほとんどつねに無知に由来するものであり、善き意志も豊かな知識がなければ悪意と同じくらい多くの被害を与えることがありうる。
人間は、邪悪であるよりもむしろ善良であり、そして真実のところそのことは問題ではない。

こういうのが超かっこいいとおもっていたし、今もおもっている。

あなただって癌にかかってる人間が自動車事故で死んだなんてことは、見たためしがないでしょうが。

ご存知のとおりカミュは47歳で自動車事故死している。

彼女が死んだとは、私にはいえない。彼女はただふだんよりも少し余計に自分を目立たぬようにしただけであり、そして私がふと振り返ってみると、彼女は、いなくなっていたのである。

『ペスト』の一番ぐっとくるところだ。

趣味のよさとは物事を強調しないことにある。

はい!

profile

花本武(はなもと・たけし)

書店員。1977年生まれ。東京都武蔵野市在住。
本と本屋と詩を愛好してます。

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