詩の声をきく(一)ここではない何処かを夢見たひと/ キキ

photo by ©Kiki




東京の 高田馬場の
明日の 明後日の その次の雨を
気持ちよさそうに歌いながら
松竹が金玉に銃口をあてている
過剰な色の
表に出した張り紙で 鋲の外で
カチッと鳴る
カチッ カチッ と鳴る
過剰な色で生きていった人間の話
ほら 眠くはないでしょう
と言いながら
わんさかと突きささった傘を広げて
ひとつずつひっくり返すと
骨ばかりが 見えた

 (「鋲の外」 より)





 高田馬場といえば、ベンズカフェ。わたしや友人たちが出るときにはよく聴きに来てくれたけれど、彼女自身はここで朗読したことはないかもしれない。なぜか、わたしの思い出す高田馬場にも雨が降っていて、ベンズでジンライムを飲む雨の詩を描いたことがある。

 そしてもうひとつは詩の中にもある早稲田松竹。二本立て専門の映画館だ。ベンズカフェのトイレにはいつも松竹のスケジュールが貼ってあって、トイレに入るたびに渋いセレクトにうなっていた。

 彼女にとっては松竹の方が、なじみがあるかもしれない。本当に映画が好きなひとで、現代のものだけでなく古い作品もよく観ていたし、同じ映画を何度も観に行くこともあった。特にヨーロッパの古い作品が好みで、アテネ・フランセ文化センターの特集上映などにもよく行っていた。

 ところで、ペンネームの“アスパラガス”は、野菜好きなのかと思っていたら、アメリカの古いアニメーションから採ったそう。興味のある方は検索をしてみていただきたい。恥ずかしながら彼女が亡くなってから観てみたのだが、たしか、彼女は中学生のころに観たような話をしていたので、おそらくトラウマアニメだったのではないかと推測する。大人のわたしが観てもトラウマになりそう……。



なにを投げられたか気になって気になって

とっさに自分たちの腕を投げかえした一対のやつは

妹のそばにいて影はみんな灰色であることを主張しようとがんばった

あのやわらかな音が あたたかい花だったら

 (「芝居」 より)





 学生時代は小説を勉強していたそうだ。演劇にものめりこんだし、アニメーション制作の学校にも行った。ヒップホップダンスも習いに行って、そういえばヒップホップは全然好きじゃなかったとあとでこぼしていた。ひとり旅にふらりと出かけては、帰ってきてからいつも「ひとりで寂しかった」という。

 キノコ狩りに行ったという話が意外で面白くて、それから友人たちから彼女への誕生日プレゼントはキノコグッズばかりになった。キノコのこともたいして好きではなかったと思うけれど。

 本当に多才で、いろんな経験をしてきて、彼女の詩を読むと、そういったバックグランドが余すところなく反映されていて、どの詩も抜群に格好がいいし、未知の世界をいつも体験させてくれる。彼女自身も面白くて本当に素敵なひとだった。けれど、とても繊細なひとでもあって、つらかったことも多かったと思う。そしていろんなことに絶えず挑戦していたのは、何者になりたいのか探しあぐねていたのかもしれない。いま改めて彼女の作品を読み返してみると、わたしは彼女をなんだかそんな風に感じてしまうのだ。

 けれどそれ以上に、彼女の特徴である、いきいきとした表現に今でも心踊ってしまう。言葉の端々からあふれてくる音楽が、わたしを海に、夏に、ダンスに誘ってくれる。そんな作品からいくつか引用して、今回は締めくくりたい。



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essay
詩の声をきく

安藤春菜

山之口貘の生きる位置 〜貘の詩からその「かたち」をみる〜

キキ

ここではない何処かを夢見たひと/アスパラガス(前)

午後、スケートリンクで/アスパラガス(後)